わんわんマナースクール
わんわんマナースクールバナー
  • ホーム
  • お悩み
    • 甘噛み
    • 吠え癖
    • 飛びつき癖
    • 散歩のイヤイヤ
    • トイレのしつけ
  • 初めての方
  • お月謝
  • ブログ
  • アクセス
わんわんマナースクール黒板
イベントページへ

わんわんマナースクール名刺

脳科学に基づくワンコのしつけ

なぜ、”警察犬の訓練から生まれたしつけ方法で家族として過ごすワンコのしつけ”をするんでしょうか?

そんな疑問と向き合って辿り着いた、私なりのトレーニング方法があります
この方法を飼い主さんにお伝えすることで、プロのトレーナーと同じようにワンコが動いてくれるようになります。

しつけ教室の風景

トレーナーが指導すれば聞いてくれるのに、家では飼い主さんの声になかなか反応してくれないということはありませんか?

これが、私が言うところの警察犬の訓練から生まれたしつけ方法です。

主従関係で言うことに従わせている状態ですから、お子さんや力の弱い女性の言うことに従うように訓練するのは並大抵のことではありません。

ところが、わんわんマナースクールでお伝えするしつけテクニックは

叱って言う事を聞かせるのではなく、ワンコが飼い主さんに褒められるのが、
うれしくってうれしくって自然と動いてくれるようになる方法です。
わんわんマナースクールしつけ教室



では簡単に、わんわんマナースクールが出来上がった経緯を書かせていただきます。

プロフィール

~生い立ち~

昭和20年(1945年)に、凄惨な第二次世界大戦が幕を下ろしました。
私は終戦の翌年1946年・・・
新しい世の幕開けとともにこの世に生を受けました。
昔の名古屋駅

そのころの名古屋は、路面電車が走っていて、いまの若い方が思われる名古屋のイメージとはずいぶん違っています。
栄は空襲でずいぶんとやられましたので、栄で商売をされる方々は八事の山の方へ妻子を疎開させておりました。
その名残で現在の八事は高級住宅街となっているわけであります。
私もお恥ずかしながら父が造船業を営んでおり、経営者の箱入り娘として八事で育ちました。

母は幼稚園の園長をしていましたので、幼児教育に関しては最先端の知識を得られる環境で育ちました。
今からは想像ができない事かと思いますが、戦前は文盲の(文字が読めない)人が50%ぐらいいる時代でした。
幼稚園、ましてや小学校にまで通わせるのは非常に難しい時代で、保母という職業は女性の最先端のあこがれだったのです。
そんな時代に若くして園長になった母はかなり勉強した人でした。

そのような家庭で育った私は、音楽の道に進み、やがてヤマハピアノ教室で講師をするようになりました。

昭和44年(1969年) 「こども達が辞めないピアノ教室」

ピアノ

当時は音楽で飯を食っていくというのは世間知らずなことで、今以上に難しい時代でした。

続きを読む

それでも立派な親がおりましたので、ずいぶんと贅沢をさせてもらい芸を磨けたのだと感謝しています。

ヤマハピアノの講師を経て独立した私は、名古屋中を忙しく飛び回っていました。
個人事業主としてピアノ教室の運営をするようになった私は、幼稚園を経営していた母の影響もあり、こどもの脳の発達に合わせた指導をしていました。
そのおかげで音楽の世界で食べていけるようなレベルの優秀な教え子を輩出できました。

私が常に考えていたのは、こども達がどうしたら「楽しく」自発的に練習してくれるかという事です。
その一点を工夫し教室を運営したことで、こども達が辞めない教室と評判になりました。

昭和50年(1975年)「ドッグショー、日本一に」

ドッグショー日本一

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカの影響で「アンタあの娘のなんなのさ!」が流行語になっていた昭和50年。
キノコの山や、ハイチューなどのお菓子も新発売されました。

続きを読む

戦後ひと段落し、海外の文化と日本の文化がミックスしていったエネルギーにあふれた時代でした。
私はといえば、愛犬のマルチーズ命のピアノの先生になっていました。
ペットが大好きという事で、ピアノの生徒さんからマルチーズを紹介されたのがきっかけです。
やがて私はドッグショーに出場するほどになり、愛犬家道を突き進んでいきました。
マルチーズを育ててその子どもが産まれると、その子どももドッグショーに向けてトレーニングし、、、といった具合です。

そしてとうとう、ドッグショーで日本一をとるほどになったのが昭和50年でした。
こうして何世代にも渡って、ショーで勝てる子をDNAの掛け合わせによって生み出していくわけです。
ドッグショーというのは純粋犬種を守っていくために19世紀に生まれたものです。
純粋犬種同士の掛け合わせですから遺伝子が近いという事です。
当然その過程で問題のある子も生まれてきて、ペットショップに流れたりもしますがそこでも売れなかったりします。
今の私からすると完全に人間の都合ですね。
私が今、ショーの世界に関わらなかったりペット販売を行わないのはこのころの反省があってのことです。

さて、このころのトレーニングはまだまだ叱りつけて言う事を聞かせるような、狩猟犬育成の流れをくむ手法が主流だったように思います。

昭和60年(1985年)「ハンドラー優秀賞受賞」

ハンドラー優秀賞受賞

完全に犬の世界にのめり込むようになった私は、ハンドラーになっていました。

続きを読む

ハンドラーというのは、ドッグショーなどに出場する犬の調教師のことです。
当時の私にはそれはそれはキラキラした世界に見えました。
ドッグショーでは犬の個体審査(体形や毛並み、バランス等)と歩様審査(リング内をラウンド)を行ないますが、この歩様審査ではハンドラーが犬を引いて場内を歩きます。
歩様審査では犬の優劣だけでなく、ハンドラーの技術も採点に大きく関わってくるのです。

昭和60年というのは、私がハンドラー優秀賞を受賞したのみでなく、いよいよ審査される側から、審査員側へ回った年でもあります。

平成元年(1989年)「日本各地でイベントを開催」

ケネルクラブ

犬の業界に深くかかわるようになった私は、JKCの役員となっていました。

続きを読む

JKCというのはジャパン・ケネル・クラブの略称で、血統書を発行したりトレーナーなどの資格を認定したりする機関です。
この役員時代に、”わかりやすい犬の飼い方”講座など、犬が家族として気持ちよく暮らすための工夫をお伝えするようになりました。
私は精力的に日本各地を飛び回り、講座を行っていました。当時43歳でした。

このころから私は、ショーで勝つためではなく、わんちゃんが一生を幸せに暮らすために自分の培った能力を使いたいと思うようになっていました。
そうして数年間悩みぬいた末に出来上がったのが「わんわんマナースクール」です。

平成5年(1993年)「わんわんマナースクール開校!」

わんわんマナースクール開校

ちょうど藤井フミヤがチェッカーズを解散し、独り立ちした頃、
私、鈴木登子美も独り立ちをしました。

続きを読む

「わんわんマナースクール」の起業です。
内心ドキドキでの起業でした。
しかし実際に教室を始めてみると、雑誌コラムの執筆依頼や大型店舗の依頼が殺到し、今まで以上に全国を飛び回ることとなりました。
イベントは荷物も多く、日本のどこでも自分で運転して駆けつけていました。

ほめてしつける方法は、今までの叱りつけて従わせる方法と違い、飼い主さんにとってもうれしい方法として受け入れられました。
イベントするごとに楽しんでいただけて、積極的に実践される飼い主さんが増えていきました。
実は「どういう仕組みで、犬が言う事を聞いてくれているのか?」という科学的根拠が明らかになってきたのは、近年の脳科学の進歩してからなのです。
当時は、方法はわかっても理由はうまく伝えることができなかったのです。

平成10年(1998年)「鈴木式クリッカーメソッド完成」

鈴木式クリッカーメソッド

この年、わんわんマナースクールに大きな変化がありました。

続きを読む



それは、海外の『クリッカートレーニング』と出会い、今の「鈴木式クリッカーメソッド」が完成したことです。
クリッカーというのは、バネの仕掛けで「カチッ」という音の出る、しつけの道具です。
この道具を使い、「嬉しいことが起こるとカチという音が鳴る」という事をワンコの脳に学習させます。
学習によって「カチッ」という音に反応し、飼い主さんの指示で動いてくれるようになります。
これは、犬の脳科学の法則によるもので、
”嬉しいことが起こると直前の出来事と結び付けて記憶する”
という原理の応用です。
母の幼稚園経営を見てきたのが私の経験と重なり、ここで一本の線につながったように感じた瞬間でした。
こうして鈴木式クリッカーメソッドが完成しました。
学ぶにつれて、犬は6か月をかけて脳細胞を育成するということを知りました。
そこで後年にスタートしたのが「犬の幼稚園」です。
これは、次の大きな変化となりました。

平成20年(2008年)「犬の幼稚園スタート」

犬の幼稚園スタート

名古屋を拠点にスタートした犬の幼稚園では、細胞を育成するために継続して犬をお預かりすることで確実に変化が表れました。

続きを読む

以前に行っていた、単なる預かりの保育とは違い、「トレーニング」としての預かりによって、ご自宅に帰ってからワンコと飼い主さんがともに気持ちよく過ごせるようになりました。
これまでのドッグトレーナーの手法というのは、「トレーナー」に従わせていました。
しかし私のメソッドでは、「クリッカーの音」に従わせますので、飼い主さんがクリッカーを鳴らすだけでよくなります。
ようやくここまでたどり着きましたが、私は62歳になっていました。

平成24年(2012年)「わんちゃんHOUSEまると」

わんわんマナースクールの今

名古屋市南区の"わんちゃんHOUSEまると"がOPENしたのに伴い、場所を移動しました。

続きを読む

それから現在にいたるまで「わんわんマナースクール」で『犬の幼稚園』や『クリッカー教室』など、飼い主さんとワンコの絆を強めるお手伝いを続けています。

ところで、いま・・少しプロフィールとは関係ない話で恐縮なのですが、このホームページを作っている現時点、私は70歳を越えました。
まだまだ現役で頑張るつもりでいますが、私の作り上げてきた他とは違うメゾットや技術を、後継者に引き継いでいきたいと思っています。
私の今の目標です。
私は365日働いていますしこれからもそのつもりですので、私の元で腕を磨きたい方は早くわんわんマナースクールの門をたたいてください。
お待ちしています。

すべての技術をお伝えします。

\友達にもおしえてあげよう/